ホーンティング ep.6の素晴らしさ(ネタバレ)

前回、あまりにも感動し興奮してしまい乱暴な感想を投稿してしまった。

 

Netflixのオリジナル・ドラマ、「ホーンティング・オブ・ヒルハウス(The Haunting of Hill House)」の第6話。

 

 

全10話見終わり、感無量。

近年稀にみる傑作ホラー(幽霊映画)だと思う。

「ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス」https://www.netflix.com/title/80189221?s=i&trkid=14170286

 

日数もある程度経ったので如何に第6話が素晴らしいか少し語ろうと思う。

 

 

ホーンティングは90年代、クレイン一家が通称ヒルハウス と呼ばれるいわくつきの屋敷に越してくる。その後、ある事件が起こり母親は死亡。5人の子供達は叔母に引き取られ、20年後、それぞれ兄妹達は別々の人生を送っている。

父親であるヒューはその後、子供達はとは別居状態。

ヒルハウス での事件以降家族はバラバラとなり、それぞれ皆何かしら心に傷を負っている。といった感じ。

 

1話から5話まで5人の兄妹がヒルハウス に住んでいた幼少期の過去と大人になった現在が並列的に描かれ、彼らの背景が分かるような構成。

 

ちなみに、ベースとなるロバート・ワイズ監督による'63年の映画"たたり"(The Haunting)は同屋敷へ心霊調査のために呼ばれた女性が主人公。

不遇な彼女自身と屋敷で起こった過去の出来事がシンクロしはじめ正気を失うという心理的なスリラー。

 

映像的にも霊なのかハッキリ描かず、幻覚なのか曖昧な描写で、観客の想像力を掻き立てるような演出。

脅かしメインのお化け屋敷映画ではないのですよ。

 

このドラマも過去と現在が交錯し人の心を描くという点をさらに広げた感じのドラマに仕上がってる。

5人兄妹ということで其々掘り下げて丁寧に描かれてるのも見応えあり。

 

 

で、話を戻すと

このエピソード6は末っ子の妹、ネルのお通夜が描かれる。

実は1話目から妹ネルの死が伝えられる。

要は、1話目から5話目まででヒルハウス で

"第1の悲劇(母の死)"から

"ネルの死"までの期間を兄妹"其々の視点"で語られるわけです。

 

そしてこの6話のお通夜で家族全員が久方ぶりに顔を合わすわけ。

一家の再会がお通夜というだけでもなんと悲しいことか。

 

前話までみている我々は兄妹其々の確執や背景を理解している。

そして、いざ家族が再会するとネルの死の悲しみを共有するどころか、互いにぶつかり合い喧嘩になってしまう。

 

その中にはネルの死を受け入れられないという心理もあるように思える。

 

その悲しみに直面することを避けるが故に皆んな"オレのことわかってくれよ!"モードになり、互いにぶつかり合う。

辛い過去から自分なりに強く生きてきたのに、それが共有出来ていない悲しみもあるんだろう。

 

これまで別々に生きてきた故でもあるし、

一家離散した理由はヒルハウス での出来事=母親の死である。

 

また、その死の出来事には不明な点が残ったまま。

 

そんな過去を振り切り各々強く生きてきたつもり。

 

だが、

過去に引き戻すキッカケになったのが妹、ネルの死。

 

それによっての家族の再会。

 

それは辛すぎる。

 

なんとも痛々しく、悲しい。

慰め合いたいのにそれが素直に出来ない。

ボタンのかけ違い故の問題がここで思いっきり露呈する。

 

 

こういうことって、あるよなぁーと感慨深い。

 

 

さて、このような状況をどのように映像で描くのか?

というところが重要であるわけです。

 

それは長回し撮影。

基本的にワンシーン、ワン・ショットでの撮影。

 

長回し撮影の演出効果として"緊張感の維持"や"臨場感"をもたせるなどあります。

 

本編冒頭から葬儀場で末っ子のネルの死体を前に姉2人のやりとり。外は嵐の音が聞こえる。そして兄と弟の登場。

兄妹の再会、これに引き込まれてしまい冒頭から5分くらい僕はワンショット撮影であることに気付かなかった!

  

もう、すっかり彼らの再会とそのやりとりに没入。

ただ、長回し撮影により、葬儀場での非日常感、彼らの振る舞いが芝居じみてるかのような不思議な緊張感に囚われる。

 

さらにワンショット撮影の演出として面白いのが幻覚の描写。

 

画面上に幽霊が映るわけです。

 

長男のスティーブンはいざ妹の亡骸を前にした後、動揺を隠せない。ネルの棺から去る際、妹の霊をみてしまう。

 

カメラがスティーブンの表情を捉えた後カメラは半回転して視線の先を写す。そこには霊。

"ダルマさんが転んだ"のように彼が振り返るのに合わせてカメラが振り返ると霊が映るのですよ。振り返るたびに近づいてくる。

 

霊は合成ではなく実際にカメラの動きに合わせて移動しているわけです。

 

とてもシンプルな仕掛で新しい手法では勿論ないですが、とても効果的。

 

リアルタイムで彼の動揺した表情(これは現実ではない、幻覚だ!という心理)と実際に霊が立っている。

これがシームレスに描かれるとどこまでが現実かそうで無いのか分からなくなってくる。

 

観ている我々もね。

 

とくに秀逸なのが父親ヒューの登場。

兄弟4人は既に集まっていて、葬儀場のロビーで休んでいる。

そこへ父親が到着。

カメラは4人を背にして父親を捉える。

 

父親は久しぶりの再会で4人を目にして感慨深い表情。

カメラはそんな父親の表情を中心に360度旋回する。

 

すると先ほど写っていた大人4人が子供の姿になっている!(子役に変わってる)

 

そして再び父親の表情を写し、カメラがまた4人を写すと、元の姿に戻っている。 

 

これもリアルタイムにカメラの動きに合わせフレーム外で役者が移動して子役たちに置き換えているわけです。

 

そういったタイミング的なものも素晴らしいけど、ここで大切なのは(先のダルマさんが転んだ幽霊とか)

 

登場人物の"主観"の世界を途切れずに描いているというところ。

ワンショットでね。

 

この時、父親のヒューは再会した子供達は大人の姿でなく"あの時"の姿で見えたわけですよ。

 

 

彼の目にはまだ可愛い子供達なんですよ。

 

 

これは実にリアル。主観的にね。

(でも現在、彼はある事情で息子たちに疎まれている存在。つらいね)

 

 

これがこれまでのエピソードからの"映像手法の構成"から踏まえても実に見事なのです。

 

どういうことかというと、5話目までと先に述べたように"現在"と"過去"が交差する形で描かれていたわけです。

それらは、カット割りを多用した"平行モンタージュ"(過去と現在のショットが往き来する編集)

 

そして、このエピソードで家族が再会した時、カット割りを使わずに、登場人物たちの"今"と"幻"(主観)が織り混ざったシームレスな世界が描かれる!

 

これぞ、リアルな彼らの世界。

 

そして、カメラは父親を追尾する。

葬儀場を彷徨う彼は過去のヒルハウスの世界に入り込んでしまう!

 

彼ら一家がかつて住んでいた屋敷でのある嵐の晩へ。

 

これも絵的にもワンショットでシームレスに過去へつながるのですよ。

(実はあるタイミングでカット割りしてるけど気がつかないようにさりげなく繋いでる)

 

そして再び現在へカメラが戻ると、

家族みんなで"その過去"の思い出話しをしているという構成。

 

そこから再び過去へもどりまた現在へと…

 

これが地続きに展開する。

 

完全に"過去"と"現在"がつながってしまうのですよ。

 

 

ワンショット撮影で描く意義はここあるわけですよ‼︎

(それと計算されたカメラワークと役者陣の配置と構図が素晴らしい)

 

"過去の嵐の夜"で描かれているものは何かというと、

 

嵐で"停電"した屋敷で末娘のネルが姿を消してしまい、子供達はパニックになり、両親は娘を屋敷の中を探しまくる、という恐怖の一夜。

 

みんな必死でネルを探すわけです。

 

 

そして、現在では…

 

再会した家族は父親含め、先に述べたように口論になってしまう。

ネルの死を受け入れられない故に、

久しく断絶していた故に、

家族みんな己の怒りや恨み、隠していたことが噴出。

 

こちらも停電。

 

ネルの存在(死)をそっちのけで

家族喧嘩。

 

とても痛々しい。

 

そして過去

父親のヒューは屋敷で超常現象的なものを目撃する(なかなか不気味)

そして、

姿をくらました幼いネルは屋敷の中で発見される。

 

幼いネルは泣きながら訴える

 

「私はずっとここに居たのに、なぜ私が見えなかったの?」

 

 

そして"現在"

葬儀場のネルの棺桶の前で家族の口論は最高潮。

 

すると、彼らの後ろにあるなるの棺桶が

 

 

ガタン!

 

 

と大きな音を立てて棺桶を支えている台の脚が折れて倒れる。

 

その衝撃でネルの腕がダラリと棺桶の外に。

 

 

家族一同呆気にとられる。

(ここで初見の僕は鳥肌マックス+切ない気持ちで一杯)

 

 

そして沈黙。

 

家族みんなでネルを棺桶に戻し位置を整える。

 

ここで、みんながやっとネルの存在を意識するわけです。

 

これまでワンショットだったものが

通常のカット割りを入れた編集に戻るのですよ!!

(そして停電もなおる)

 

ここで初めて悲しげな曲が流れる。

(それまでは音楽なしで嵐の環境音のみ)

 

ワンショット撮影の緊張感を維持した見せ方ではなくなり、画的にも落ち着いた感じになる。

という構成。

 

その後、冷静さを取り戻しネルに向き合い、その場を去る。

 

そして誰もいなくなった葬儀場。

ネルの棺桶の傍らにネルの死んだ時の姿(霊)が立っている。

 

その画に合わせて、

過去のあの幼いネルのセリフがまた流れる。

 

「私はずっとここに居たのに、なぜ私が見えなかったの?」

 

 

悲しすぎるー!

 

もう見事な構成としか言いようがないですよ。

(幼い頃からネルの前に現れる幽霊がいる。それは常にネルを怖がらせていた。それが将来のネル自身の死んだ時の姿だったことを我々は知ることになる。これも過去と現在が繋がる)

 

しかも、怖さと悲しさがミックスされそこはかとない切なさに心が揺さぶられる。

 

もっと細かいとこも語りたいけどこのくらいにしとくけど、

この"過去"と"現在"、そして登場人物たちが見てしまうもの(幻影)は実のところ"これまで彼らが目を逸らしていたもの"でもあるのですよ!

 

そして最も背けていたものはネルの死であり、

あの彼らが住んでいた"ヒルハウス の存在でもあるわけです。

 

そして物語の展開的にも後にヒルハウス の事件(母の死)の真相を求めることにも繋がるわけです。

 

これまで皆一家離散した状態で自分なりに過去に対して決別して生きてきたつもりがそうではないことに気づかされるわけですよ。

 

兄妹5人のの中でネルが最も穏やかで優しい存在だったが、それ故か心を病みある事をきっかけに自殺してしまったわけ。

で、このエピソード見た後、もう一度一話目から見ると実に巧みに練られた構成であることがわかる。

また、兄妹のネルに対するそれぞれの思いがみえてくる。

 

もう一つ、ワンショット撮影の演出で注意するといいのが、本編の中でカメラがどの人物をどのタイミングで追って捉えているのか、というとこ。

それぞれの演技や心理描写が素晴らしいよ。

 

怖がらせるビッリ演出のためのワンショットではないのですよ。

(また技巧的にもワンショット凄いだろという目的の使い方ではない)

 

 

僕にとって如何に人間の心を表現できるか、描けるかが幽霊映画の重要なポイント。

 

 

と、ついつい長く書いてしまった。

 

 

ちなみにワンショット撮影で現実と幻想(妄想)がシームレスつながり、境界がない描き方といえば、最近のだと"バードマン"がそれね。

これはVFXを駆使して3日間の出来事を2時間で描いてる。これもいい作品。

https://youtu.be/_XOBBmyYNJA

 

 

さて、ワンショット撮影は工夫すると主観的な世界を"リアル"に描くということが可能であるなと改めて思う。

映画的な"リアル"ね。

 

そんで、作品にのめり込んで見た人はこのエピソードがワンショット撮影であることすら気がつかないと思う。

そこが大切。

ワンショットの技巧的な難しさをアピールするためではないからね。

 

そういう意味でやっぱこのホーンティングでのこの演出は最高に素晴らしい!

 

ep6 のメイキング

https://youtu.be/n8gJ81M39Ig